<第37回:今だからこそ私が語れる「英語の幼児教育」②(コラム)>

一度根付いた「嫌い」という感情は、
それが英語でなくても
払しょくするのはとても大変なことです。

いえ、よっぽどの事情がない限り
人はそれを克服しようとすら
あまり思わないでしょう。

大学受験に2連敗した私は
アメリカに行くことを決意します。

当時、私や私の友人たちはこれを
「国外逃亡」と表現(揶揄?)していましたが
半ば冗談の一方、半分は正鵠を射ていました。

なぜ英語が嫌いだったにもかかわらず
アメリカに行こうと思ったのか。

そういうことなのです。

もちろん英語は苦手でしたから
渡米してからの生活は気の滅入ることも多く、
授業以外は部屋にこもって出てこない、
そんな時期もありました。

救いだったのは、
アメリカの自由な気風は自分の性格に合っており
ホームシックは一度もなかったこと。

スイマー時代からの負けず嫌いは変わらず
才能や能力に恵まれなくても
気合と根性と体力と努力量でカバーする気概はあったこと。

そして、最も得意な科目が
「国語」であったことです。

変なことを言っているように聞こえるでしょうか?

確かに、前回のブログでは
「英語との相性が良いのは理系」と書きました。

しかしながら、言葉はツールであり
それを活かすのは自分の内にある思考です。

では、何語で思考しますか?

そう。
母国語の強さこそが、
学習においての最大の強みになりうるのです。

それを踏まえると
「英語の幼児教育」の是非
いよいよ見えてくることになります。

(つづく)

熊本ザ・グローバル学院
学院長 糸岡天童