今週の月曜日の授業で、極真空手を習っているいつも元気いっぱいの男子生徒が、不満そうな表情でこんな質問をしてきました。
「先生―、学校で小文字のエイを“a”と書いたら、バツになったんですけど、ダメなんですか?」
「ん?どういうこと?」
「学校の教科書って、丸の右側がまっすぐな棒になってるじゃないですか(※画像参照)。その通り書かないとダメって言われたんですよ。」
「いや、ぜんぜんどっちでもいいよ(笑)」
「英語を教える」という仕事を通して実は僕が一番伝えたいのは、前回のグローバルコースに来てくれた5ヶ国語を話すユンさんも言ってましたが、「言語を通して様々な文化を学べる」ということです。
前回までの連載で「英語と日本語の違いすぎる○○」として、文字、特にその数の違いについてお話してきましたが、そもそもアルファベットは表音文字です。漢字は象形文字です。文字が作られた由来が、実は根本的に全く別物なのです。
絵を文字化した漢字は、発達した文具が筆ということもあるでしょうが、絵画と同様に美しく書くことが広く一般にも推奨されてきました。漢字から発展したひらがなやカタカナを含め、日本では現在も書道に見られるように、文字の美しさをある程度大事にします。よって、美しい筆運びを念頭に、書き順も学校で正しく教わります。
一方で、表音文字は音を文字として表したものです。教養としてきれいに書けないより書けたほうが良いという概念はあるものの、それ以上に欧米は個人主義ですので他人の文字の美醜について大体とやかく言いません。結果、アメリカの大学でネイティブにノートを借りると、まぁ字が汚い。彼らにとって多くは、読めればいいんです。
どちらが良い悪いではありません。が、「教科書に書いてあるから」「お手本通りにきれいに」というのは、日本人らしいといえば日本人らしい発想です。ネイティブがその授業を聞けば、変な所にこだわっているように写るでしょう。彼らは文字の美しさよりも、内容中身を重視する。
もう一度言いますが、どちらが良い悪いではありません。ただ、文化が違うということは発想からして違うので、その違いから知ること、ひいてはその違いを受け入れることを楽しむこと。私は、それを子供たちに習ってほしいと思っています。
英語の文化的発想で言えば、読めればどちらの“a”でもいい。英語という文化を習う上ではそういうことになりますので、わざわざ日本の文化的発想をあてはめる必要はありません。
「って、学校の先生に説明して、ちゃんとマルをもらってきな?間違いじゃないけん。」 「先生。言い切らんですよ。」と、その生徒は笑って言ってました。
熊本ザ・グローバル学院
学院長 糸岡天童