<第38回:今だからこそ私が語れる「英語の幼児教育」③(コラム)>
なぜ日本人はノーベル賞受賞者が多いのか?
2000年の同化学賞を受賞した白川英樹教授はインタビューに、「日本語で学んでいるから」と答えています。
芥川賞などの受賞歴がある作家・丸谷才一さんは
「考えるための道具としての日本語」という表現で言語を「思考のための道具」「伝達のための道具」と区別し、前者がなおざりにされているのではと指摘しています。
分かりやすく例えましょう。
「お金を振り込んでください」と請求がありました。送る手段は、銀行、コンビニ振替用紙、オンライン、現金書留…
「自分に・相手に利便的であれば」なんでも良いですよね。
しかしながら、そもそも「お金がない」のであれば、郵送する手段があっても送りようがありません。
英検のライティングでは
「日本の若者は大企業に就職するより起業する人が増えると思うか?」
というようなトピックも2級以上から出ます。
それについてメリット・デメリットを学校で教わっていない子供達は(=お金を持っていない人)
なにを自分の意見として英語で書くのでしょうか。
(=英語:送信手段が仮にあっても、何もできない!)
日本語は「母国語」です。
英語で「母国語」は“mother tongue”とも言います。
両方とも「母」という語を使うのは面白いですね。
両親が家で日本語を話しているのに
学校にいる時だけ周りは違う言葉(英語)を話している。
インターナショナル系はトレンドかもしれませんが
結果、思いの外、英語ができるようになっていない。
「こんなにできていないと思わなかった」とは
私が保護様からよくいただくご相談ですが、ある意味、当然のことと言えるかもしれません。
(決して批判をしているわけではありません)
特に小さい子供は、学校の先生よりも友達よりも
最初はやはりお母さんが好きで真似から入りますから。
ですので、東進の林先生も言っていましたが
それを知っている保護者は子供をインターナショナル系に行かさない。英語が苦手だった親御様にその傾向が強いようです。
それだけ「ムリ・ムラ・ムダ」が多いのです。
それでもリスニング・スピーキングを伸ばしてあげたいなら、何十万・何百万円もかけてわざわざ通わせなくても、おうちでお母さんが一緒にDVDなどで楽しんであげれば十分でしょう。
一方で、
本人は漠然と「英語ができる」というプライドだけはある。
故に、中学で読み書きが始まり他の子より点数が低いと嫌な気分になる。それが続くと英語がつまらなくなる。嫌いになる。
昔の私と同じです。
こういう子を増やしたくないな、と思っています。
もちろん例外的な子はいますが。
この項①の冒頭で言いました通り、私は英語が苦手です。
それはあくまで得意科目の国語や社会に比べてですが、英語の利便性は最大限評価していますし、グローバルの時代にあって必須技能という考え方は変わりません。
お金を持っている人が世界と商取引するときに、手段としてネットバンキングが便利でよく使う。
感覚的にはそれと同じで、使えないより使えた方が選択肢も可能性も、人生の楽しみ方も、圧倒的に多く有利です。
できたほうが良いに決まっている。
ただ、ちなみに前出の丸谷さんは作家ですが、翻訳でも有名な方で、決して子供のころから英語をやっていたわけではありません。
白川教授もです。
母国語でできないことは外国語で絶対にできない。
翻って、母国語が強い人は外国語も強い。
この大前提を踏まえ、
あるいは英語嫌いな子を作らないためにも
私は幼児にはいたずらに英語教育を施すよりも、まずは日本語をしっかりやらせてあげてほしいな、と。
その上で基礎ができたら英語もできるようになってもらいたい。
私自身、英語で紆余曲折あったからこそ
いまはそんなふうに願っているところです。
ご参考になれば幸いです。
熊本ザ・グローバル学院
学院長 糸岡天童