<第15回:あのアカデミー作品賞から学ぶ差別のなくし方(コラム)>

英検の1次試験も終わったところで、閑話休題。
文法の話が続きましたので、今日は一つコラムを書こうと思います。

周知の通り、アメリカのミネアポリスで黒人男性が警察官からの暴行によって亡くなり、人種差別抗議のデモが全米で展開されています。

なぜ差別なんてするのか。

日本人の感覚からすれば、不思議ですらあります。

私は映画鑑賞が趣味です。年に100回くらいは観ます。
100作品ではないんですね。回数です。同じ映画を繰り返し、が多いです。
お気に入りのフィルムは、もうおそらく50回以上観てます。

50回以上となると「日本語字幕→英語字幕→最終的に字幕なし」という流れで、キメ台詞あたりは自然と覚えてきます。

ちなみに、リスニング力を鍛えるなら、話している内容を文字で理解し、その文字の音の流れを聴こえるまで繰り返す。これが鉄則です。
いきなり映画はハードルが高すぎますから、自分のレベルにあった教材で1回に最低1時間、年に100回は聴いてみましょう。

さて、とはいえ自宅の所蔵映画だけでは飽きますので、もちろんレンタルショップで借りることもあります。そこでいいのを見つけたら、あとでDVDを買ってコレクションに加えるのです。

新しいコレクションに迎えたい映画に出会いました。
昨年のアカデミー作品賞などを取った「グリーン・ブック」です。

実話を基にした、裕福な天才ピアニストの黒人男性と、決して裕福でなくドライバーとして雇われた白人(イタリア系)男性のロードムービーです。
アメリカの南部のコンサート・ツアーに出かけますが、そこで様々な人種差別に遭遇するんですね。

ただ、そこに出てくる差別する側の悪気のない明るさ・屈託のなさが、昔読んだ「アーロン収容所(会田雄二著)」という本の描写を彷彿させるのです。

ヨーロッパ旅行をした時イタリアに行ったのですが、
日本では竪穴式住居を作っていた時代に建てられた、巨大建造物コロッセオを眼前にして
私自身、なんとなく、その本にも書いてあるような、アングロサクソン人の当たり前にそこに存在する無意識の優越感のルーツを感じたものです。

そう、つまり、一言で言うと
恐ろしいほど悪気がなく、あまりに自然すぎて怖いのです。

もちろん悪意を持って差別する人もいるでしょう。
たまたま「グリーン・ブック」を観る前日、「ミシシッピバー二ング」という、それこそ黒人と白人の人種差別闘争の映画を観ていました。最後まで分かり合えず、ただただ傷つくだけの両者。救いのない話ですが、これも実話ベースです。

しかし、分かり合えた「グリーン・ブック」の二人。最初からそうだったわけではなく、むしろ白人の方は黒人に対して偏見があった。

なぜ差別なんてするのか。

私は相手を知らない・知る必要性を感じていないからだと思います。

「ブラックジャックによろしく」は本格医療系マンガですが、障害を持って生まれてきた双子の赤ちゃんの回で、世の中の差別に対してこんな記述があります。
「無関心が人を傷つける。無知は罪だ。悪意はなくとも、全員共犯者だ」。弁護士をするその子のお父さんの台詞です。表現は過激ですが、あながち間違えているとは言えません。

同じ人間ですから、おかれた境遇での葛藤や苦悩もあれば、喜び楽しみ好きなこともある。
一人ひとりが、そこに踏み込むきっかけがある人生なのかどうか。
ただそれだけのことかもしれませんが、「それだけ」をできてる人はことのほか少ない。知識と実践が別物である典型です。

故に、実践の繰り返しこそが差別のない世の中を作る間違いのない方法とも言える一方、現実の難しさもまたそこにある気がします。

私がアメリカで最初に住んでいたジョージア州は「グリーン・ブック」でも登場する南部の田舎町で、かつては多くの黒人奴隷がいた土地です。白人は少ししかいません。
一方で、そのあと北に移り、4年にわたって過ごしたのが冒頭のミネアポリスが州都のミネソタ州。カナダに国境を接し、白人ばかりで、黒人はほとんどいない土地です。そこで事件は起こった。

「グリーン・ブック」の舞台は北部ニューヨーク。
ツアーから戻って、友人と食卓を囲んでいるとき
「あのニガー(黒人の蔑称)はどうだったよ?」と聞かれ
「ニガーなんて言うな」と少しとまどったような声で返すシーン。私はもう感動に打ち震えて涙が出そうになりました。

これを読んでいる人自身だって、理屈では差別が悪いと分かっていても、腹を割って黒人さんや白人さん、その他の様々な人種の人たちと「知り合う」まして「認め合う」機会なんてほとんどないでしょう?

それどころか「自分からそこまでしたいと思ってますか?」と聞かれたら、ふつうはNoですよね。それが良いとか悪いとかではなく、ただ、差別はなくならない。悪意はなくても、私たちも「共犯者」です。

逆に、100回くらい色々な海外の人たちと会って理解し、理解してもらうことを繰り返す人が増えれば、世界は少し変われるかもしれませんね。

「なぜ差別なんてするのか」と考えるよりも、自分が無意識で差別をする人にならないような経験をしている方が、よっぽど大事ではないでしょうか。

だからこそ、この「熊本ザ・グローバル学院」は熊本で唯一、中高生でも若いうちから月替わり、色々な国や人種の人と、通訳もいるので安心してじっくり「話し合える」グローバルコースを作っています。

最後はやや宣伝ぽくなりましたが(笑)
でも、やっぱり自分で話せる英語力はあったほうがいい。
また次回から基本中の基本、まずは文法のポイントをきちんと押さえていきましょう。

熊本ザ・グローバル学院
学院長 糸岡天童