<【特別寄稿】9・11より20年。私が当時アメリカで見たもの(コラム)>
アメリカの9・11同時多発テロから20年が経ちました。
月日の流れの早さを感じてやみません。
私はその年、2001年の1月からアメリカの語学学校に入っており、テロが起こったことを知ったのは朝の授業に行った際です。
いえ、厳密に言うと、通常の授業の代わりに先生を含めみんなで教室でラジオを聴いたのですが、私の当時の英語力では、興奮し・まくしたてるように話すキャスターのニュースの内容はまったく理解できていませんでした。
ただ、食い入るように押し黙ってずっとそれを聴いていた先生の、時折涙をふく姿が印象的でしたが、状況を呑み込めないまま午前中が終わり、カフェテリアに行ったときにテレビの周りに人が集まっていて、そこで見た映像で飛行機がビルなどに突っ込んだことを理解したのです。
それでも最初はその映像がまさか今自分がいる国で、ましてリアルタイムなどとは思わず、もちろんご多分に漏れず映画のワンシーンでも観ているかのようでした。
夕方も通常通りに寮の自分の部屋に戻り、確か多少の昼寝もし、ネットを開いてそれがテロであることを知ります。
日本の母から国際電話がかかってきました。「大丈夫なんでしょ?」という安否確認の割には緊張感のない口調でしたが、アメリカにいるとはいえ遠く離れたジョージア州の田舎町にいる私もまた、どこか他人事だったように思います。
それから20年。その後アメリカはイラク戦争に突入し、今年ターリバーンはアフガニスタンの全土を支配下に置いたと宣言しました。
空港のセキュリティは強化され、拳銃を持った警察が巡回するようになったり、私も大学に進み政治学・国際学を専攻する中で「ブッシュの戦争」という本も授業の一環で読むなど、国際問題に強く関心を持つようになりましたし、グランド・ゼロにも足を運びました。
しかしながら、今日20年という歳月が過ぎたと知ったとき、ふと思い出されたことは、やはりあの先生の涙する姿だったのです。
果たして、もしも日本で同様の事件が起きた時、自分は同じように犠牲になった同胞のために涙を流すことはあるのだろうか?
昨晩、たまたまこんなYouTubeを観ました。
アメリカにいる日本人の留学生がキャンパスで道を尋ねていると、一人のアメリカ人男性が会話に入ってきて「おまえはどこからきたのか?」「中国じゃないのか?」「お前たちのせいでマスクをしなければいけなくなったんだ」「おい、こいつに近づくとコロナがうつるぞ」「さっさと国に帰れ」と、立て続けに罵り始めるのです。
日本人留学生は、完全に狼狽しています。
すると、道を尋ねられていた見知らぬアメリカ人学生たちが、男女関係なく怒り始めるのです。
「おい、良くないだろ、やめろって」「マジでさ、俺たち同じ人間だろ」「お前何者だ!」「こいつが悪いわけじゃない!」「お前がどこかいけ!」
ある女性は、その男が去ったあと、その日本人に謝ります。
「あなたに不快な思いをさせてごめんなさい」「ハグしたいわ、ハグしてもいい?」
彼女は優しく抱きしめながら、号泣します。
これはテロとは直接関係ありませんが、実は「もしも目の前で人種差別が行われたら、周りの人はどう反応するか」という社会実験で、もちろん日本人を罵るアメリカ人も差別主義者ではなく、あくまで役回りの一環として行っているだけなのですが、僕はアメリカ人のこういう見て見ぬふりをしないところはとても素敵だと思う。
かの国の多くの人たちは、非常にエモーショナルで共感力が高い。日本人との相対論で言えば、異種のものに対しての寛容性や理解もあるため、おおらかで器が大きく見える。
もちろん一部例外がいたり、その負の面もあるのは世の常ですが、全体的にはそのバランスを取れる人が多いので、私は彼らがとても好きです。
日本人にも良いところは当然たくさんある。一方、出るくぎを打つ傾向の強さや異論に対して排除に向かいがちなのは、村社会の名残が完全には消えない部分でしょう。そこからくる奥ゆかしさや謙虚さ、丁寧さが、逆に海外の人から評価が高いということも承知しております。
しかしながら9・11より20年。
ある程度の時間が経過して今思うことは、当事国の政治的・歴史的な背景を論じるよりも、実際その日に自分の目の前で起きた出来事のほうが、やはり私には圧倒的にリアリティがあるということです。
そしてこの共感力の高さのある人間でいたい。
留学経験を持ち現地で当時を経験した者として、自国の良いところは守りつつ、他国の良いところは良いところできちんと評価し取り入れていくこと。また、そのような人材を育成していくことが、たとえ素粒子ほどの小ささだとしてもいつか、少しでも争いの少ない世の中につながればいいな。そんな風に思います。
熊本ザ・グローバル学院
学院長 糸岡天童