<第61回:スラム街で体験した恐怖のカーチェイシング①(コラム)>

渡米した2001年の夏、私はアトランタに行きました。アメリカの南東、ジョージア州の州都。1996年にオリンピックも行われた都市です。

ちなみに私が住んでいたのは、そこから西へ車で5時間離れた「アメリカス」という、南部の小さな田舎町。ジミー・カーター元大統領の母校の中にある語学学校に通っていました。

久しぶりに都会らしい都会に出てきて、いくつかの観光地を回り、日も暮れ出した頃、気分が高揚していた私は興味本位で、危険な提案をするのです。

「ホテルに戻る途中に、スラム街に寄ってみない?」

オリンピックが行われたとはいえ、当時、「アトランタ」と言えば常に全米トップ5に入り続けている犯罪多発都市(全米1位を2度記録)。そして「スラム街」というのはその犯罪の原因となっている、特に貧困に苦しむ人たちばかりが住むエリアです。

アメリカ人でさえ遊び半分で立ち入ることのない、決して行ってはならない場所です。

まだ21歳。若かった。見識もなかった。けれども、好奇心が強くて、スリルを味わいたくなってしまったのですね。それにしてもそのときの同乗者が、翌日帰国する予定の恋人であったことを考えれば、今更ながらあまりにも無責任でした。

夕暮れ時に、ゴールドの車体のピカピカなレンタカー ― 本来、通るはずのない高そうな車が ― スラム街にゆっくり走りながら侵入してくるのです。住民にとっては極めて怪しい存在であり、心地のいいものではなかったでしょう。

立ち並ぶボロボロの家にはエアコンがないためか、外の日陰には上半身裸や、白のピチピチのタンクトップを着たタトゥーだらけのマッチョな黒人の人たちがたくさんいて、道端からこちらをジロジロといぶかしげに見てきます。中にはわざわざ歩みを止めて覗き込んでくる人も。

逆にそれを車内から眺めながら、私は緊張と興奮に包まれていました。

ふと、少し前方には、道のど真ん中で何やらたむろして遊んでいる子供たちがいます。それを避けるようにして進んだそのとき。

パンパンパン!!

こちらに向けられて乾いた破裂音が、突然連続して聞こえてきたのです。

発砲!!??

私がバックミラー越しにあわてて後方を確認すると、その子供たちがロケット花火を撃ち込んできたことが分かりました。

それと同時に、一台の車が発進するのが見え、そして私たちの車を追尾してきたのです。

最初は「まさかそんな」と半信半疑でしたが、こちらがスピードを上げれば向こうも上げ、ゆるめれば向こうもスローダウンし、それは確かに、ナメた行動を取った異邦人に対する、怒りと威嚇に見えました。

スラム街はとうに抜け、日は完全に落ち、周りに建物も道路照明灯も何もない真っ暗な、郊外の一本道へと入ってなお、速度を上げてもその車はピッタリと後ろを付いきます。ハンドルを握る手からは汗が噴き出していました。

その時間が10分、20分、30分…と続くのです。

加えてなんと、ガソリンの残量がほとんどないことに、この時やっと気づいたのです。

「このままガス欠になって止まったら、確実に殺される」

いよいよ私は身の危険を実感するに至り、冗談が冗談で済まない状況に自分で入り込んでしまったことをようやく理解するのですが、反省よりもまずは、とにかくその場をなんとか切り抜けなければならない、という一心でした。

隣ではすっかりおびえてしまった彼女が「ねぇ、どうするの!?」と泣き出しそうな声で腕を掴んできます。

ヘッドライトの届く範囲しか見えない、アメリカの漆黒の田舎道。逃げるために闇雲に走ったため、現在地すらわからない状況。そして車内で赤く光る給油サイン。

「ヤバい、ヤバい、ヤバい…」

徐々に追い詰められていった私は…

(次回へと続く)

熊本ザ・グローバル学院
学院長 糸岡天童